27日 水曜日の夜に友達と電話をしていて、実家の家族と離れる決意の話をした。
その中で自分が 「暖かくて心から安心できる家庭」 に強い憧れを抱いていて、それを築いて守っていくことが人生の目標だと思っていると、理由は上手く言えないけど確信していると気が付いた。
私の理想が専業主婦かと言われたら、社会人として働いてみていない以上まだ答えられない。でも、私にとっては良い学校に行くのも、良い企業で働くのも、家庭を築いていくより良いパートナーを見つけるための手段だったのかもと思い至った。
ここに行き着くのは私の異性への好みも多分にある。自分より賢くて、自分に近い思いやりを持っていて、同じことで笑える人が私の理想なんだと思う。私は勉強と呼ばれる分野では馬鹿ではない。だから自分より賢いとなると、世間一般でも 「賢い」 と呼ばれる人達になる。そういう人達はそれこそ良い大学で学びを修め、良い企業に勤めている割合が高い。生涯のパートナーと見合う自分になりたくて、私はこれまで頑張ってきたのかもしれない。
そうなると困るのが仕事での目標だ。(パートナーと見合うために)良い企業に入社するという自分の目標を達成してしまったからなぁ。働くからには全力をもって働くべきだと自分自身に対しては思うし、腰掛けのつもりで働く気は毛頭ない。定年という概念が40年後もあるかわからないけど、定年退職するまで働く考えでいる。
でも仕事は良いパートナーを探す手段であり、結婚後にパートナーと対等な権利を持ち続けるための手段でしかないと思ってる節が私にはある。
きっと私にとっての自己実現的な目標って、会社で自分の名を上げるとか、使い切れない大金を稼ぐとか、社会的成功ではないんだろうな。結婚して子どもを授かれたら産み育てて、家族みんなにとって居心地が良い家庭を築くこと。あとは家族が自由になる選択肢を作り続けるのが目標な気がしている。
家族にこだわる理由も、実家が昔から私にとって居心地の良い場所ではなくて、今でも心が絶対的な安寧を求めているからだと、何となくわかっている。
まあ結婚していてもいなくても、生活は現実だから生きるのに必要な費用と、心にゆとりを持てる額を稼ぐために頑張って働くけれど。
私の視野って本当にすごく狭いんだなと理解した。視野という、自分にとって負担なく大切に思い大切に関われる世界が、恐らくすごく狭い。私が大切にできるのは、心許せる親友達やいわゆる身内で占められる、半径100mにも満たないドメスティックな狭い世界だと思う。だから視野が狭い。
広く社会貢献とか、くまなく日本全国・世界全域とか、そういうのは性に合わない。就活の時は公共性の高い業界が自分に合ってると思っていたんだけどね。業界への興味関心と、プライベートでの生き方や趣味嗜好は異なるとも思うけど、何だかんだ価値観は繋がっているんだろうなとも思う。入社する会社はまさしく 「日本全国くまなく 世界と個人を繋ぐ」 という言葉がイメージされるような事業をしている。今になると価値観に馴染まない所にしてしまったかな…と少し弱気になっている。でも頑張りたい気持ちも確かにあるんだよ。
自分自身が大切にできるのがドメスティックな狭い世界であっても、関わる人みんなに自由に広大に心から望み、選べる選択肢があることは必須だと思っている。
ああ、そうね。家庭を築くことで心を癒し、埋まらなかった孤独を埋めようとしているのかも。自分の人生を必死に生きて得た途中経過の答えが、「家族みんなにとって帰りたくなる家庭を築きたい」だった。
仕事でも勿論努力する。けれど瞬間的に最優先になる時はあれど、人生を通しての優先順位では一番には来ない。
他の誰かが仕事で高い社会的地位を得たいと思うのと、同じくらい純粋な人生の目標だと私は自分の思いに対して思う。でも相手ありきの目標だからかそう思わない人や、勝手に重荷や負担に思う人がいるのも知ってる。それでも私は大好きな人と家庭を築きたいと思うし、そのために行動もしていく。
私は大好きな人と家庭を築き守っていくこと、私も含む家族みんなが自由でいられる選択肢を作っていくことが夢。仕事はそれを叶える手段になるんだと思う。
結婚や家庭も、仕事も、言葉での発信も、優先順位やリソースの割き方をその時々でチューニングしながら、全部自分と関わる人みんなが幸せになるように頑張れたら一番いいと思う。
ただ不器用な今の私には多分難しいから、目標や願いに優先順位を付けなきゃいけないのが、情けなくて寂しいところ。